2013年8月9日金曜日

会報誌はツール。問題は中身。

こんにちは。
単品通販コンサルタントの山口です。


「会報誌」そのものが
お客さんとの「きずな」をつくり、
それによってお客さんのロイヤリティが上がり、
結果、売上が上がるということは、ありません。


大きい会社が会報誌をDMとして継続している場合で多いのは、


①単品中心の仕組みであり、
 DM売上が継続売上の多くを占める
 (DM単発で採算が合う)

②優良顧客だけに送っている
 (RFMなどで顧客セグメントを行い、
 対象により強弱を分けている)

③懇意にしている印刷会社(あるいは、代理店)の
 強い意向がある

④レスポンス以外の数字で管理している

⑤「会報誌はいいはずだ」という信念、
 あるいは雰囲気がある



通販大手がDMの会報誌をやっているからといって、
「うちもそれをしなきゃいけないんだ!」と思う必要はありません。

そうやって採算倒れしたり、
優先順位をまちがえてしまっている会社も多いです。


たとえば、商品をリニューアルしたとします。

前よりもっと良くなったんだとしたら、それを、お客さんに伝えると思います。
今のお客さんと、もうやめてしまったお客さんに連絡するんじゃないかと思います。

それを「会報誌」と呼ぶかどうかは周りが決めることで、
じぶんたちが決めることじゃありません。


会報誌とは本来そういうもので、

大切なのは会報誌そのものではなく、
絶え間ない改善のための活動とその努力

であるはずです。



2013年8月2日金曜日

「ポジティブ」禁止

こんにちは。
通販コンサルタントの山口です。


僕は「逆真理」というのはやっぱりあるなと思います。

「前向き」
「ポジティブ」
「プラス思考」


そういう言葉がやたらと多い人は、たいてい、底に暗さを感じます。

つまり、本質的に「後ろ向き」で、「ネガティブ」で、「マイナス思考」です。


本当にポジティブな人間は、
ポジティブもネガティブも、
前向きも後ろ向きも、
プラスもマイナスも意識しない

で、普通に生きています。

つらいときはつらいし、嬉しいときは嬉しい。
そういうものです。


「ポジティブ教」という、一つの宗教のように感じるときがあります。

何か一つの価値観を強制する時点で、その本質にポジティブはありません。 


「じぶんはすごくネガティブに考えがちなので、
もっとポジティブに考えるように心がけています」

という話は、わかります。


もちろん、物事のプラス面をとらえるのはいいことです。
前向きに考えることもいいことです。
ネガティブに考えるより、ポジティブに考える方が良いと思います。


ですが、
人には沈むときがあります。
ネガティブになるときがあります。

本当に沈んでいるとき、
「前向きになれよ」と言われて
前向きになれるやつなんて、
どこにもいません。

大切なのは、

そういうとき、そういう人が

「前向きになれる」ような言葉をかけてあげたり、
態度で接することなんであって、
「前向きになった方がいいよ」と言うことではありません。

それは後ろ向きです。


むしろそういうときに必要なのは、

ネガティブにならざるをえないことそのものを、
当たり前のこととして肯定する

ことです。


広告と同じです。


うまくいった事業や会社を事例にあげるときでも、
「前向きに、積極的に新しいことに取り組んだからだ」みたいな話があります。

けれど、重要なのはそこじゃありません。

大切なのは、
「なぜ彼らはそんな風に積極的に取り組めたのか?」ということです。

他社を見学した社長が会社に帰ってきて、
「おい、おまえらも、ああいう風におもしろいこと普段から考えてないとダメだろ」
と言ったりする。


けれど、そうではなく、

「どうして彼らはそういう風に
仕事に打ち込めたのか?」

という視点が大切なんです。



似てますか?